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2007年3月

怖い話 青木ヶ原樹海の悪霊

ある知り合いに誘われて青木ヶ原樹海へ自殺者の捜索にでかけたことがある。
捜索・・・とは名ばかりで、実は自殺者の遺体を回収しに年に一度地元の消防団や警察が樹海へ探索に入るのだ。

樹海には遊歩道が設けられていて、夏などはとても気持ちいい。だが、一歩遊歩道から足をを踏み入れると危険がいっぱいだ。

もともと溶岩が固まった大地に数センチばかりの土があるだけで、樹海に生息する草木はそのひなびた大地に必死になって根を張っている。溶岩台地は穴ぼこだらけで、降り積もった落ち葉の下にはポッカリ大きな穴が開いていたりする。

うっかり踏みそこなうと数メートルもある溶岩洞窟へ真っ逆さまだ。慣れない人間は自殺志願者でもなければ踏み込むものではない。

捜索隊のメンバーは毎年参加している人たちが先頭に立って、あらかじめ目星をつけておいた一角だけを捜索する。広大な樹海すべてを捜索するわけではない。

万が一迷ったりすることがないよう、一行は数名で一組のグループに分かれ命綱を辿って行く。遊歩道入り口の木立にロープを縛りつけ、その先端を持ちながら樹海の中を歩くのだ。帰りはロープをたどって行けばいい。

わたしも知り合いのグループに入れてもらって捜索隊に加わった。途中、ビニールシートを屋根代わりにした簡素なテントみたいなものを発見した。そこには雑誌が数冊と、男物の財布、それから食べ散らかしたスナック菓子が散乱していた。状況から見てかなり時間が経っている。

テントには遺体は見当たらなかったが、そこから数メートル先の木立の根っこに腐りかけた遺体があった。おそらくあのテントの持ち主だろう。トランシーバーで状況を報告してさらに先に進む。

その日は5グループに分かれた捜索隊が合わせて12人の遺体を発見した。夕暮れ間近ということもあり、そろそろ捜索を切り上げようとした時だ。帰りの道しるべとなるロープを辿ろうとしたとき、数メートル先の木立に人影が見えた。どうも捜索隊のメンバーではない様子だ。

その人影はわたしたちの命綱を触っているようだった。

わたしと一緒にいた他のメンバーも何か不安を感じたらしい。その人影に大声で呼びかけた。おい、誰だ!!

すると人影はまるで獣みたいなスピードで樹海の中を駆け巡り、消えてしまった。わたしたちはみんな不可解な気持ちだった。だが早くしないと日が暮れてしまう。命綱をたどって遊歩道に戻ることにした。

・・・が。

怪しい人影が立っていた木立までロープをたどっていくと、その木立の後ろの枝に切れた状態のロープがブランとひっかかっている。そう、命綱が切れているのだ。おまけに、切れた先の遊歩道につながっているハズのロープが見当たらない。完全に帰り道を見失ってしまったのだった。

ロープは刃物で切られたわけではなかった。何か強い力で引きちぎられたように切れていた。わたしたちは呆然とし、さっき発見した腐乱死体を思い出した。自分もああなるのかと思うと平静ではいられない。

結局、トランシーバーで連絡しあってわたしたちは他のグループと合流することが出来た。

だが、同グループのメンバーはあの時の不振な人影を「樹海の死霊」だと言っている。仲間を増やすためにロープを切ったのだと。

以来、捜索メンバーは必ず命綱を3本ずつ持つことになったそうだ。

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怖い話 地下街のホームレス

かなり昔の話だ。その日わたしは東京で遊び呆けて帰りが遅くなってしまった。小遣いをほとんど使い果たし、帰りの電車賃しか持ち合わせていない。

おまけに終電に間に合わないという最悪の事態に遭遇した。はてさて、どうしたものたか・・・。

当時わたしは高校生になったばかり。気後れするタイプだったから、慣れない都会で一人夜を明かすのはとても不安だった。どこか安心出来る場所で夜を明かしたい。本当は喫茶店にでも入りたいがキップを買ってしまったのであいにく持ち合わせは数十円。

しかたなく、わたしは新宿の地下をうろうろするハメになった。

西口あたりをうろついていた時だ。わたしは薄暗い通路に出くわした。そこは人通りもなく、とても静かだった。通路のわきには沢山の段ボールが置かれている。どうやらこそはホームレスのひとたちが集団で住み着いている段ボールハウスの集落のようだった。

いつもならそんな所からはさっさと遠ざかるのだが、あの時のわたしは昼間の遊び疲れで疲労困ぱいしていた。遠ざかるどころか、その段ボールの中で仮眠でもさせてもらえないかな、と思ったくらいだ。

そんなことを考えながら通路入り口に突っ立っていると、茶色の毛糸帽をかぶったおじさんが声を掛けてきた。身なりから想像するに、おそらく彼はホームレスだ。

おじさんは怪しく突っ立っているわたしのことを新米ホームレスだと勘違いしたらしい。寝る場所が無いんなら、俺の段ボールハウスを貸してやる、親切にそう言ってくれた。

わたしを自分の段ボールハウスに招き入れると、おじさんはどこかへ行ってしまった。段ボールの中は意外に心地いい。ホームのベンチなんかで夜明かしするのを考えれば、まるで別天地だった。

知らずと眠ってしまったわたしを起こしたのは見ず知らずのおばさんだった。時計を見ると午前五時。おばさんはわたしの顔を見てこう言った。

「よそ者だね。だけどここにあるもんは今日仲間と分けることになってるんだ。はやく出ていきなよ」

わたしは訳がわからなかった。この段ボールハウスは茶色の毛糸帽をかぶったおじさんの所有物じゃなかったのか?

実はそのおじさん、昨日の早朝にこの段ボールの中で死んでいたのだ。そこで所有者のいなくなった段ボールハウスは他のホームレスに形見分けとして分配される手はずになっていた。

わたしが会ったのは死んだはずの優しいホームレス。

生きている人間より死んだ人間の方が優しいなんて、せちがない世の中になった。

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怖い話 ダイエット

御利用は計画的に ダイエットは長期的に

最近世間ではとてもスレンダーな女の子が多くなった。テレビやマスコミに登場するアイドルやモデルなんかの影響だろう。

個人的には女性は適度にふっくらしていた方が魅力的だと思う。スタイルがいいのと「ただ痩せている」のとは違うし「スタイルがいい」=「女性の魅力」ではないハズだが。

もっとも、これは女性だけが悪いのではない。そういう風潮を盛り上げるマスコミや世間の男達も悪いのだ。

ま、ここはそんな議論をする場ではないので本題に入ろう。

本日は「浮き世の怖い話〜ダイエット〜」

アメリカ女性は若い頃とても美しい人が多い。白人はアジア系民族にはない美しさがある。が、食文化のせいなのか、彼等は20代後半から激太りしてしまう確率が高い。

彼等もそれを充分危惧しているのだろう、アメリカ人の肥満に対する意識はとても高い。反比例して超肥満な人種も多いのだが。

アメリカ人たちは巨大なハンバーグやらフライドポテトetcばかりを好んで食べるようなイメージがあるが、けっこう粗食だ。もちろん、日本よりも食肉価格が随分安価なので、食べようと思えばステーキを三食、ってこともアリだ。日本のマクドナルドでセットメニューを注文するお金があれば、まぁまぁのレストランで分厚いステーキを注文出来る。

が、彼等は「肥満」に対して敏感だ。昼飯だってランチ持参な人が多い。その内容も、日本人の奥さんが毎日旦那の弁当に頭を悩ませる、なんてことはあり得ない。

バナナだけ、とか。
レタスオンリーのサンドイッチ、とか。
クッキーにミルク、とか。

わたしの知り合いにリンゴしか食べないと言う白人女性がいた。ランチはもちろんリンゴ一個(しかも丸ごと)

夕食もリンゴ。朝食はサラダとスープ、シリアルを食べる。そんな食生活で大丈夫なのかと訊ねると、肥満にならないよう今から気をつけているのだという。

彼女は太ってはいない。が、そんな食生活にも関わらず痩せてもいない。つまり標準体系だ。この食生活を保っていればこそ現在のプロポーションが保てる、彼女はそう信じていた。

5年後、日本に帰国していたわたしは久しぶりに渡米し、彼女と会った。

そして、彼女の変わり果てた姿に愕然とした。

「5年前の彼女」はそこにはいなかった。まるでわたしたちは20年以上も離れていたような錯角に陥った。
そう、彼女は「激太り」しなかった代わりに「激老け」したのだ。

顔は皺だらけ、肌もシミが広がりカサカサ状態。綺麗な金髪はツヤを失って老婆のようだった。おそらく、彼女はあの極めてバランスの悪い粗食生活を続けていたのだろう。美しいプロポーションと引き換えに若さを失う、世の日本人女性も気をつけた方がいい。


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怖い話 戦没者の幽霊

わたしの母校は仏教系の高校だった。誰もが般若心経をソラで暗唱できる。できなきゃ単位がもらえない。般若心経を暗唱できなければならない理由は修学旅行にある。

我が母校の修学旅行は毎年「沖縄」だった。沖縄と聞いてなにを想像する?南の島・楽園・島唄・美しい珊瑚礁・・・色々あるだろうが、「戦争」とか「ひめゆりの塔」だとか答える人間は少なくなった。

沖縄の修学旅行日程は一週間。自由行動やショッピング、観光名所巡りなどに裂く時間はほんのわずかだ。メインは大平洋戦争で多くの犠牲者が出たとされる沖縄各地の慰霊碑巡りだ。

戦没者の慰霊碑を旅行中毎日巡礼し、200名の高校生たちが慰霊碑の前にズラリ整列して般若心経を読経する。これが我が母校の数十年来に渡るならわしなのだ。事情を知らない他の観光客達は度胆を抜かれるだろう。

実際に幾つの慰霊碑を巡礼したかは忘れてしまったが、修学旅行最終日の夜の出来事は忘れられない。

わたしたちは那覇市のホテルに6日間宿泊した。あてがわれた部屋はツインのベットルームだ。修学旅行初めのの夜はみんな興奮して夜更かしするが、最終日ともなるとさすがに就寝も早かった。夜の12時ともなると廊下も他の部屋も寝静まり、隣のベットの同級生も熟睡していた。わたしもかなり睡眠不足が続いていたのであっさり眠りについた。

真夜中過ぎのことだ。ベットサイドテーブルの時計は午前三時をさしていた。わたしは何故だか急に目が覚めた。隣のベットの同級生が何やらうなされているのだ。

彼はまるで動物が威嚇するような低いうなり声をあげながら息苦しそうにもがいている。わたしは彼を起こそうとした。だが声が出ない。体も動かない。首だけ同級生の方を向いたまま金縛り状態になってしまった。

彼はかなり苦しそうだった。おまけに、うなされながら誰かと会話しているようだった。うわ言のように彼はこう繰り替えした。

「日本人だ・・・日本人だ・・・日本人だ・・・」

わたしは金縛り状態のまま気を失うように眠ってしまったらしい。気がつくと朝になっていた。隣の同級生は自分のベットに座ってわたしの顔をジッと見ていた。

夕べ酷くうなされていたけど大丈夫か? わたしが尋ねると、彼はやつれたような顔つきでこう答えた。

夢なのか幽霊なのかよくわからないが、夕べ大勢の人間が俺の周りに集まってきて殺されそうになった。戦争映画に出てくるような軍服やモンペや防災頭巾姿のやつらで、俺の上に乗っかって日本人じゃない、日本人じゃないって言うんだ。

その同級生はいわゆる「不良」と分類される学生で、旅行中も遡行が悪く、髪を金髪に染めていた。戦没犠牲者には慰霊碑巡りをする不埒な心情の彼が、まるで鬼畜米兵に見えたのだろうか。戦没犠牲者がこらしめにきたのか、単なる夢なのか、はたして真相は誰にもわからない。

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怖い話 電話魔

電話好きな友人がいて、彼女は毎日のようにわたしの自宅や携帯に電話してくる。

電話に出たものなら最低2時間は解放してもらえない。

話の内容はくだらない。職場の愚痴 彼氏の愚痴 両親の愚痴 友だちの愚痴 数限り無い愚痴を延々と喋り捲るのだ。わたしが話題をかえようとしても無理矢理自分の愚痴に流れを戻す。

彼女はごくフツーの女の子だ。日常生活を見る限り特別な欠点は見当たらない。ルックスもまあまあ、友だち付き合いも良く、優しい気遣いもある。「電話魔」だということだけが難点なのだ。

ある時、彼女と共通の友人に「彼女の長電話」について愚痴ってみた。そこで初めて知ったのだが、彼女の長電話はどうやら相手がわたしに限ってのことらしい。他の友人には用事以外で電話がかかってくることはないし、用件が済めばあっさり切ってしまうという。

彼女に悪意はないのだろうが、これは何とかすべきだと思った。毎回2時間も愚痴を聞かされるのはいい加減うんざりしていたのだ。

彼女から電話がかかってきた時、わたしはそれとなくプライベートや仕事で忙しいと告げた。

「そうなの、大変だね」

彼女は軽く返答し、また延々と愚痴をこぼす。まるでわたしの言い分など聞いていない。わたしは適当な理由をつけて強引に電話を切った。次に彼女から電話がきた時も同じように電話を切り、かかってくる度に会話の時間を短くした。

おそらく彼女はわたしの態度が不満だったろう。だが、わたしに直接モンクをぶつけることはなかった。「そっか、忙しいんだね」従順にそう呟いただけだ。

怖いことは次の日から起こった。帰宅すると留守電の件数が78件。全てが例の彼女からの愚痴話しだった。初めの10件までは聞いてみたが、残りは当然消去した。

その夜中だ。いきなり自宅の電話が鳴ってFAXが動き出した。彼女からだった。

「返事だけでも聞かせてって言ったのに、連絡くれないからFAXします」

そう前置きが書かれたFAXはいつまでも受信し続け、交換したばかりのロールを全部使い果たしてしまった。部屋の中はFAX用紙の海だ。わたしは途方に暮れながらも腹が立ち、散乱する用紙を掻き集めてゴミ袋に詰め込んだ。

次の日はFAXも留守電も届いていなかった。仕事に出かける前にわざとセットしなかったからだ。安心して帰宅し、パソコンの電源をいれるとメールが届いている。ケータイメールが嫌いなわたしは、親しい人たちとメールでやり取りする時いつもパソコンを使っている。そのパソコンに186件ものメールが届いていたのだ。

どこからわたしのアドレスを知ったのか(彼女とその共通の友人たちにもアドレスは秘密にしていた)相手はやっぱり「彼女」からだった。

同じ件名 ※「返事下さい」が186件も並んでいるのを見るとゾッとした。彼女は携帯電話からメールしてきたのだろう。長文は送れない。パソコンメールで見ると4行ほどの文面が186件延々と並び、しかも増え続けている。

アドレスを替えようと思ったが、このPCで連絡を取り合っている人全員に伝えるのは面倒だった。やはり無視するに限る。彼女とは格別親しかったわけじゃないし、趣味もあわない。ここで縁が切れても困らない、いや、むしろ喜ばしい、そう思うようになっていた。

彼女からの連絡はその日から一切無視した。相変わらず電話もかかってきたが受信拒否。メールは消去。手紙は封も切らずにゴミ箱行きだ。徹底的にそうしているうち、一ヶ月もすると彼女からの嫌がらせに近い行為はピタリと止まった。

同時に、彼女と共通の友人達とも連絡がとれなくなった。街で偶然行き会ってもわたしの姿を発見するなり進路をかえる。どう考えても不自然に避けられるようになった。

数年後、彼女達グループとは無関係の人間から、わたしが極悪人だという噂がある、という話を聞いた。どういう風に極悪人なのかはその人も詳しく知らないが、そういう噂があるという話しだった。

噂の出所は「彼女」だろう。そんな人間と縁が切れてせいせいしているが「どんな噂」なのかが怖いところだ。

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