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2007年5月

浮き世の怖い話 怖い未来

怖い話をいくつか書いてきた。

奇妙な体験も昔からよくある。

だが、わたしは幽霊の存在を肯定も否定もしない。実はよくわからない。実は物凄い怖がりだ。

怖い話のビデオやらDVDやら都市伝説やら、果てはネット上に反乱するあらゆる怖い話に共通する点は視覚重視で、夜ひとりで見るなんてとても考えられない。

わたしがオカルト物を見る時は数人で、しかも真っ昼間で、おまけに半分はこっそり目を反らして直視しないようにしている。

わたしに変な体験が多いことを知っている友人は、噂の心霊現場などに行くと決まって「何か見えないか?あの辺に何か立ってないか?」なんて訊くのだが、そんなものは見えない。半分体の透き通った人間も、青白い顔の女も、もやもやした影も見えない。

幽霊よりも借金取りの方が怖いし、生きている人間の方が確実に残酷で非道徳だと思う。もちろん、そうじゃない人だって大勢いるが。

最近、このブログの閲覧者が急に増えた。リピーターが増えたこともあるが、「子供向け検索サイト」からのお客さまがかなりいる。ということは、年端も行かない子供達が大勢見ていることになる。

少しそれを意識して書かなければいけないと感じた。それが大人の義務だと思う。自由主義や金銭主義で大勢の人間を集められればいいというものではない。不特定多数の人間に自分の意見や情報を提供出来るインフラがあるからと言って、何でも声を大にして言って良いハズがない。それを権利と主張するなら、これからの未来をになう子供達が健全な精神を養う環境を得るのも、極めて重要な権利なはずだ。

わたしはあまりテレビを観ない。仕事で忙しいという理由もあるが、わたしが観るテレビが自分の子供の精神に悪影響だと感じたからだ。わたしがテレビを観られるのは夕飯の終わった後で、ちょうど子供達も側にいる。観るのは主にニュースだが、近年とても残酷な事件ばかりが前面に押し出されている気がする。

一時期、わたしの子供達は異常に臆病になっていた。気が付けばブツブツ何かを言っている。何を言っているのか訊ねると、怖いことを考えてしまうから考えないようにしている、と答えた。子供達の口から出た怖いものは「殺人」「虐待」「誘拐」「殺傷事件」「バラバラ殺人」「通り魔殺人」「いじめ」「自殺」「不審者」・・・・等。

年令から考えるに、彼等はそれらの単語の意味を理解していない。なのに切羽詰まった恐怖を感じている。世の中に反乱する必要以上の事件や事故の情報が、彼等の精神にとってある意味「危険」なのだと実感した。

報道の自由、情報を得る権利、それは大切だ。残酷な事件に蓋をして、日の目を当てないようにする必要はないと思う。

が、テレビやニュース、ネットや書籍・雑誌に至る迄、不特定多数の人間に情報を配信する人たちは、その情報や広告がどんな人間にどんな形で受け入れられ、どんな影響を及ぼすかについてもう少し考えるべきだと思う。
そして親や周囲の大人たちも同様に。

世の中は昔から理不尽だ。怖いことも沢山ある。残酷な出来事も山ほどある。だが素敵な人や素晴らしい出来事も沢山あるし、嬉しいことも、夢も希望も山程あるのだ。

これから大人になっていく子供達の精神が健全に育たない環境ほど、怖い未来はないと思う。

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怖い話 ボイラー

シャンプーしている時、背中に視線を感じたことはありませんか?・・・誰にでも一度は覚えのある嫌な経験だろう。子供の頃にはよくあった。目をつむった無防備な状態でひとり「風呂」という密室にいる不安感。そんな心の動揺が生んだ妄想。

大人になってからは縁のない経験だが、二十歳の頃一度だけ気味の悪い体験をした。

友人の母親が旅行に出かけて留守にするというので、わたしは当時仲の良かった友人宅に泊まることになった。二人でビールを飲みながらテレビを見たりしているうち、酒の弱い友人は先に寝床へ行ってしまったのだが、わたしは汗臭い自分に我慢ならなくて風呂を借りることにした。

友人の家は築30年は経っているだろうと思われる昔風の造りで、風呂場は家の突き当たりにあり、わりと長くて薄暗い廊下を通らなければならない。おまけに風呂場の手前にボイラー室があり、その前を横切ると曇りガラスの向こうに暗いボイラー室が不気味に稼動する音が聞こえる。

特に気にすることもなくシャワーを浴びていたわたしは、そろそろ出ようかという直前で背後に誰かの視線を感じて振り返った。だが、とうぜん風呂場には誰もいない。

気のせいかと思って脱衣所で服を着ていると、また誰かの視線を感じる。目の前には大きな鏡があって、誰かが背後にいれば視界に入るはずだ。だが誰もいない。何だかとても嫌な気分になり、とにかく早くここから逃げ出した方がいいと直感した。

急いで服を着て廊下を歩き出したのだが、ボイラー室の前を横切った瞬間、ゾクッとして立ち止まった。

真っ暗なボイラー室の中で何かが揺れている。

曇りガラスの向こう側にある暗いボイラー室で、確かに大きな何かが静かに揺れているのだ。

よく見ると、それはボイラーの太いパイプの下からブラブラつり下がっていて、しかもかなり大きい。

大きさは・・・そう、ちょうど人間の大人くらいだ。

そう気が付いた時、わたしは一目散に走り出した。それから寝室で眠っていた友人にその事を告げた。

最初は寝ぼけ半分だった友人も、すぐに真剣な顔になって寝室を飛び出した。

ところが、てっきりボイラー室に向かうと思うわたしの予想を裏切って彼は居間に入り、祭ってあった仏壇に線香を供えだしたのだ。

実はこの友人、3年前に父親を亡くしていた。後日聞いた話だが、ある朝突然、彼の父親は遺書もなく自宅のボイラー室で首を吊ったという。

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怖い話 泣く山

北陸のある村に仕事で訪れたことがある。

電車もなければバスも1日に一本しか走らないという過疎村で、見かける村人は畑仕事をしている年寄りばかり。仕事の関係でわたしはその村のある民家に泊めてもらったのだが、年甲斐もなくホームシックになりそうなほど心細い場所だった。

泊めてくれた家の人も年老いた御夫婦で、夜の9時には揃って寝てしまう。寂しいやら不安やらでなかなか寝つけず、居間のテレビを借りてニュースを見ていると、11時過ぎ頃になってその家の奥さんがトイレに起きてきた。

ひとりで居間に座っているわたしに、奥さんは少し意地悪そうにこんなことを言った。

今夜は山が泣くから、早く寝た方がいいよ。

山が泣く・・・そんなことがあるハズない。意味不明だったが、何だかイヤな気分になったわたしは用意された部屋で眠ることにした。

その日は5月の半ばだと言うのにやけに蒸し暑く、夕方からは風もなかった。わたしは風呂を借りた後で用意された部屋に戻り、窓を開けたままの状態で障子だけを閉め、夕飯を御馳走になって居間でテレビを見ていた。だから眠る為に部屋に戻った時、窓を開けたままであることを忘れていた。

障子を閉めてあったので、てっきり窓も閉っていると勘違いしたわたしは、そのまま布団にもぐり込んで目を閉じた。すると暫くして、外の方で奇怪な音がする。

それは音・・・というか、声というか、子供や女性がわめき散らしているようにも聞こえるが、奇怪な生き物のうなり声のようにも聞こえた。それは過疎村の山々に木霊して、いったいどこから聞こえてくるのかもわからない。

わたしは布団から飛び起きて耳を済ませた。窓がしまった状態でこれほどよく聞こえるのだから、よっぽど大きな音であると思った。よからぬ事件かなにかで助けを求める声かもしれないと慌てて障子をあけると、窓は網戸の状態で開けっ放しになっている。そういえば自分が締め忘れたことを思い出してまた耳をすます。

不可思議なうなり声のような、叫び声のような音は低く、鋭く、そして不確定に山々に響いていた。そしてそれは人間の声や人為的なものではないことを悟った。そんな音はこれまで聞いたことが無かった。

途端に怖くなったわたしは急いで窓を閉めて鍵を掛け、布団をかぶって懸命に眠りにつこうとした。頭の中で、この家の奥さんが意地悪く笑っている顔が浮かび、「山が泣くから早く寝た方がいい」という言葉がグルグル回っていた。

朝になって夕べの出来事をこの家の御夫婦に話すと、二人は驚いた様子もなくこう答えた。

ああ、それなら大丈夫。もうあんたの代わりに違う人が連れていられたらしいから。

この村で誰かが「あの世に」連れて行かれる時、昔から頻繁に「山が泣く」という。山の泣き声を聞いた人間が連れて行かれたり、死ぬまぎわの人間が連れて行かれたりと様々だが、この時連れて行かれたのは若いカップルの男の方だった。

一昨日、村道の曲がりくねった山道から酔って車ごと谷へ転落したカップルの男の方が、搬送先の病院で息を引き取ったらしい。

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