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怖い話 学校の怖い話

知り合いの教員が体験した怖い話をしようか。

その人は小学校の先生を務めあげ、20年ほど前に定年退職を迎えて現在は隠居の身分。

自分が初めて教壇に立ったころと比べれば、教師も、教育現場も随分変わったというのが口癖だ。

その先生が一度だけ話してくれた怖い体験談がある。

彼が小学校の先生になったのは終戦から10年と経たない時期。初めて赴任したのは全校生徒19名という田舎の分教場だった。

今のように気軽にアパートを借りられる時代ではなかったので、先生は分教場の宿直室に住み込むことになったのだが、それがどうにも不安で仕方がなかった。

分教場に赴任する前、先輩方に散々脅かされていたからだ。

「あの学校は本当に出るぞ」・・・と。

赴任先の分教場は地元の教師の間では有名な幽霊学校だった。

特に、宿直当番をした先生のほとんどが幽霊を見ていて、それが原因で病気になったり、学校を辞めてしまった人もいたらしい。

そのため、他の学校がまだ宿直当番を設けていた時代に、その分教場だけは宿直が廃止されていたのだ。

よりにもよってその宿直室に寝泊まりすることになったのだから、ビビらないはずがない。

本当は村の空き家でも借りようと思っていたのに、分教場の用務員夫妻が「宿直室に寝泊まりすればタダだよ」と強く勧めたために、宿直室暮らしをするハメになってしまった。

引っ越しを終え、休憩しながら六畳間の宿直室をしみじみ眺めていると、用務員さんが食事に来るよう誘ってくれた。

この用務員夫妻は気のいい人たちで、分教場の真横に家があった。

村はずれに建てられた分教場の近くにはこの夫婦の家しかなく、学校の裏手は竹藪の向こうに山が迫っているし、周囲は田んぼと畑ばかり。街灯もほとんどない時代だから、夜は月明かりだけが頼りという状態だった。

用務員さんの後に続いて歩きながら、なんとなく背後の分教場を振り返ると、宵闇に沈み始めた木造校舎はあっという間に闇に包まれていくようだった。

夕飯を御馳走してくれた奥さんは、新任の若い先生に「毎日の食事の面倒をみるよ」と申し出てくれた。

村には食堂などないし、料理をするのは手間がかかる。独身の先生にとって食事の支度は一番大変だ。大いに助かる。先生は有難い申し出を受けながら、ふと、分教場の幽霊について聞いてみた。

「この学校に幽霊が出るというのは本当ですか?」

用務員さんは笑い飛ばしただけだった。

ここに来た先生の幾人かは「幽霊が出た」なんて騒いでいたが、自分たちは一度も見たことはない。宿直室に泊ったこともあるが、幽霊に会ったこともない。ネズミは出ても幽霊なんてでないさ。若い先生をからかったんだ。

そう言われ、なんとなく気持ちが軽くなった。

宿直室で眠る初めての夜、少し緊張したものの、ぐっすり眠れた。用務員さんの言う通り、幽霊は出なかった。翌日、分教場に通う子供たちと初めて顔を合わせ、教師としての慌ただしい毎日が始まった。

木造平屋の古ぼけた学校には幽霊は出ないが、雨漏りがひどかった。

村には校舎を立て直す予算などないから古い建物でも大事に使わなくては・・・用務員さんは口癖のようにそういって、いつも校舎のどこかを修理していた。

学校には新米先生の他に町から通う先輩教員が二人いて、手が空いている者はみんなで修理を手伝った。

その年は梅雨が長くて、用務員さんはことのほか修理に忙しかった。

一か所直せば他が漏る、と言った具合で、修理用に調達していた材料も底をつきそうだった。

夏の初め、ラジオで大型台風が近づいているというニュースを聞いた用務員さんは、子供たちが帰った土曜日の午後、おにぎりを皿に乗せて宿直室を訪ねてきた。

どうやら、でっかい台風が来るらしい。あちこち修理が必要になりそうだが、長雨のせいで木材が足りない。これから町に下りて材料を調達してくる。明日は日曜日だから、台風が早く行ってしまえば、子供たちが登校する月曜までに修理できるだろう。うちの女房は親戚に不幸があって今夜は戻らない。俺も天気の具合によっては街に泊るかもしれない。先生にはすまないが、今夜の夕飯はこれを食っといてくれ。

用務員さんはおにぎりを手渡すと、足早に街へ出かけて行った。

その時、すでに風が強くなり始めていた。こんな天気に山道を降りるのは危険ではないかと心配したが、そんな言葉には耳も傾けなさそうな人柄だったので、先生は無事を祈って用務員さんを見送った。

他の先生方は風が強くなる前に急いで家に戻ってしまった。日が沈んでしまうと風はいよいよ強くなり、大粒の雨も交じってきた。

風が強まってくると、まるで悲鳴みたいな音をさせながら隙間風が吹き込んだ。木枠の窓も、薄いガラスも、思った以上にガタガタと風にゆさぶられ、心細さと不安がじわじわ募ってきた。

今夜、この分教場にいるのは自分だけだ・・・あらためてそんな現実に気がついた瞬間、先生は祈るような気持ちで雨が叩きつける窓の外に目をやった。

用務員さんは街から帰ってこないだろうか?こちらに近づく三輪バイクのライトが見えないだろうか?

こんな状況では用務員さんは街から帰ってこられないだろう、そんなことはわかっていたが、どうにも心細かった。

こんな時は早く寝るに限る。眠っている間に台風は行ってしまうだろう。朝になれば、台風一過の青空が気持ちイイはずだ・・・そう自分を励ましながら、先生は早々布団にもぐりこんだ。

雨風の音が気になってしばらく寝付けないでいたが、いつの間にか寝込んでいたのだろう。

気が付くと時計の針は真夜中を過ぎていて、先生は布団の中で目が覚めた。

布団に横になったまま、先生はぼんやり暗い天井を眺めていた。風雨の音は相変わらずひどかった。だが、目が覚めたのはそのせいではない。

何かが聞こえる。

風の音に混じって何かが聞こえる。

ガタつく校舎の音や隙間風のようにも聞こえるが、どうにも違和感がある音だ。

もう一度眠ろうと努力したが、音の正体が気になって眠れなかった。

それどころか、その音ばかりがハッキリ聞こえるようになり、音の原因を突き止めなくては安心できなくなった。

分教場は小さな学校だ。木造平屋の一階建て。宿直室は建物の一番北側にあり、隣に音楽室と小さな保健室、次に職員室があって、教室が二つ続く。

一番南の端にトイレという間取りで、宿直室からトイレまで廊下は一直線。全部の部屋を見て回っても15分とかからない。

先生は電気をつけながら音の正体を探って歩いた。音は確かに聞こえる。

校舎に体当たりするような突発的な強風とは違い、波紋のように広がる音。

ハッキリ聞こえないのに、耳について離れない音。

悲鳴のような隙間風とも違って、どこか低い音。

教室も、トイレも、校舎内は全部見て歩いたが、音の正体はわからなかった。どこから聞こえるのかもハッキリしないのに、建物の中から聞こえることだけは確かだ。

電気を消しながら宿直室に戻る間、不可解な音の原因をあれこれ考えた。原因がわからないほど怖いことは無い。こんな台風の晩に一人っきりで分教場いるのだ。幽霊が出ると言う噂の学校に一人ぼっちでいるのだ・・・考えがそこに至ると、いてもたってもいられなくなった。

音の原因を知りたい。原因がわかれば怖くないはずだ。恐怖から逃れるためには、自分を悩ませているこの音の原因を知る必要がある。

先生は耳を澄ませて音を聞き分けようとした。音の発生場所は不確かだが、どんな音か聞き分けられたら予測が立てられる。

建物を叩く雨の音ではない。

窓に体当たりするの強風とも違う。

吹き込む隙間風や、木々がなぶられる音でもない。

音は確かに校舎の中で聞こえるのだ。

音・・・・いや、違う。どちらかと言えば声に近い。

ぁぁああ・・・

ぁぁぁ゛ぁ゛あ゛あ゛・・・

あ゛あ゛あ゛あ゛っっ・・・・

唸り声のような、訴えるような、ひどく苦しいような、そんな声に聞こえる。

そう気が付いた瞬間、先生は電気も消し忘れて宿直室へ駆け戻り、頭からすっぽり布団をかぶった。

誰かが立っていたのだ。

廊下の窓のすぐ外に、誰かが立ってこちらを見ていた。

こんな台風の晩に、しかも真夜中に、校舎裏の竹藪を通って誰が居ると言うのだ?

用務員さんだって町から戻ってこられないこんな晩に、あんな場所に人間がいるはずがない。

そう思うと「幽霊」という言葉が頭について離れなくなった。

不思議なあの音は、今はハッキリ「声」になって聞こえる。

ぁぁああ・・・ぁぁぁ゛ぁ゛あ゛あ゛・・・あ゛あ゛あ゛あ゛っ・・・・

唸り声のような、訴えるような、ひどく苦しいような、そんな声に聞こえる。

先生は震えながら布団にもぐり続けた。朝までの時間はとてつもなく長く、声はすぐ耳元で聞こえるような気がして、布団から顔を出す勇気はなかった。

やがて台風が行き過ぎたのだろう、雨風が弱くなり、スズメの声がし始めて、外が明るんできたのがわかった。

それと共に、声も聞こえなくなっていた。

お昼過ぎ頃、街から用務員さんが戻ってきた。用務員さんのバイクが窓越しに見えるまで、先生は生きた心地もしないで宿直室に閉じこもっていた。

用務員さんは先生の青ざめた顔つきなど気にもせず、台風で壊れた場所がないか校舎の点検をし始めた。用務員さんに続いて歩きながら、昨夜人影を見た竹藪を見たが、変わったことは何もなかった。

その後、特に幽霊を見ることはなく、不気味な声を聞くこともなく、4年間を分教場で過ごした先生。

やがて若い人たちが仕事を求めて町へ移り住むようになり、ますます子供の減った分教場は廃校になることが決まった。

分教場が廃校になるのに合わせて新しい学校へ赴任することになった先生が、用務員さんと最後の夕食を食べているとき、

「分教場がなくなって、石原先生は寂しいだろうなぁ・・」

と、ぽつり、用務員さんが呟いた。

石原先生と言うのは、戦時中にこの学校の教壇に立っていた先生で、子供好きの、とても優しい人だったと言う。

日本が戦争をすることに肯定的だった世の中で、石原先生は子供たちにハッキリと「戦争はいけないことだ」と教えたのだそうだ。

日本の敗戦が色濃くなり、学徒動員が全国的に始まると、石原先生は教え子たちを兵士にさせたくない一心で、徴兵が決まった教え子の家を訪ねては仮病をすすめた。病人は戦争に行かなくて済む。

だが、それが噂になって憲兵の耳に入った。

ある日、突然やって来た憲兵に連れて行かれた先生は、一週間後、やつれた顔で戻ってきて、その晩、学校裏の竹藪で毒をあおって死んだのだった。

連行された先で何があったのかはわからない。石原先生が自殺した理由も謎のままだ。だが、戦争に反対した者が憲兵に連れて行かれ、その後自殺した、という話を聞いただけで、当時の人たちには察するものがあった。

だから、誰も石原先生が自殺した理由を知ろうとはしなかったし、先生の亡骸を親族が隠れるように連れ帰る時も、誰も見送りにこなかった。関わることを避け、先生の存在も忘れたような顔をしていた。子供たちを本当に大切に思ってくれた石原先生を、見捨てるように忘れたのだ。

「あの晩、窓の外に立っていたのは、石原先生という人だったと思うよ」

知り合いの、年老いた先生はそう言った。

あの苦しそうな声は、毒を飲んで死ぬときの声だったのかもしれない、ずっとそう考えていたけれどね。

自分が現役の教師時代、あのときの体験を単に怪談として子供たちに話して聞かせたものだ。子供たちはキャーキャー怖がっていた。

だけど、こうやって教師を辞めて、年を取って、あの世からのお迎えを待つだけの身分になったこの頃、違うんじゃないかと思うようになった。

あの声は、子供たちを守りたかったのに、最後まで守ってやれずに死んでゆくしかない石原先生の、苦しい心の声だったような気がするんだ。

戦争に反対することが命がけだった時代に、それを承知で子供たちを守ろうとした石原先生が、迷ってでるなんて考えられない。

子供たちが少なくなったという理由で分教場が廃校になったとき、用務員さんが寂しそうにつぶやいた言葉が今でも耳に残ってる。

「分教場がなくなって、石原先生は寂しいだろうなぁ・・」

石原先生は、学校という学び舎を大切に思っていて、そこに集う子供たちを大切に思っていて、その場に立つ自分の役目を大切に思っていて、だからこそ、そんな石原先生の思い出が、あの分教場には染みついていたんじゃないかと思えるんだ。

あの晩、俺が見たものや、聞いた声は、学校に染みついた石原先生の思い出なのかもしれない。

あの分教場が、石原先生を覚えていたんだよ、きっと。

そんな風に考えると、同じ教師として長いことやって来た自分は、一体どれだけのものを残せただろうかと、しみじみ考えることがあるんだ。

・・・・本当にあった、学校の怖い話。

 

 

青木ヶ原樹海の悪霊 【朗読版】

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